明智光秀が築いた福知山城は、明治の廃城、昭和の瓦一枚運動を経て現代に受け継がれている。いまの福知山市民は光秀や福知山城のことをどのように想い、これから先の時代に伝えていくのだろうか。
『この世界の片隅に』などで知られる福知山在住の漫画家、こうの史代さんの描き下ろしイラスト「麒麟のいる街」や直筆コメントとともに福知山の人に伝わる光秀の心を紹介する。
― こうの史代さん(漫画家)
こうの史代さん描き下ろしイラスト「麒麟のいる街」
重なる山影、歴史ある街並み、深い霧、澄んだ川。瀬戸内に育ったわたしは、福知山で珍しいものにいくつも出逢いました。
なかでも面白いのは、人々の気質です。
お国柄には、その地ゆかりの偉人が大きく影響するように感じます。子どもの頃から親しむうちに、知らず知らず人生のお手本にするのでしょう。福知山のスターは、明智光秀と酒吞童子。いずれも悪役です。体面よりも、こうと決めたらやり抜く我慢強さ、また、物事にはいつも別の視点があり、周りではなく自分のものさしで判断することの尊さを、福知山の人は教えてくれます。
わたしも、そんなふうに世界を見つめてゆきたいと思います。
(二〇二一年一月)
こうの史代(こうの・ふみよ)
昭和43(1968)年、広島市生まれ。漫画家。平成7(1995)年に『街角花だより』でデビュー。平成16(2004)年に『夕凪の街 桜の国』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞新生賞を受賞。平成21(2009)年に『この世界の片隅に』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。その他『ぼおるぺん古事記』『日の鳥』など著書多数。平成28(2016)年に東京都より福知山市へ移住。
イラストのモデルになった風景
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― 田村卓巳さん(福知山踊振興会 会長)
「明智光秀丹波をひろめ ひろめ丹波の福知山 ドッコイセ ドッコイセ…」とうたわれる『福知山音頭』。そのリズムに乗せて「日本一難しい盆踊り」とも言われる「福知山踊り」が繰り広げられる。明智光秀に由来する唯一の郷土芸能で、福知山城築城の際、石材などを運び「ドッコイセ ドッコイセ」と踊りだしたのが始まりというエピソードが伝えられている。
この福知山踊りを伝える活動を行っているのが福知山踊振興会。同会は外国人を含め延べ10万人以上に踊りを指導。近年、16の手数で構成された複雑な踊りが、脳の活性化に効果的という科学的実証も得られたという。
同会会長の田村卓巳さんは、「ロンドンオリンピックの文化プログラムとして、現地で福知山踊りのワークショップが開かれたんですよ。光秀公も驚くでしょうね」と胸を張る。
なぜ、これほどまでに踊りは愛されることになったのか。田村さんは「光秀公は、愛妻家で部下思い、地域づくりにも尽力した。この時代には珍しく、文武両道に優れた才覚ある武将であることは間違いない」と踊りが誕生した背景に存在する光秀像を分析する。
その光秀像を「踊りやまちづくりに取り入れ、育ててきた。福知山は光秀というソフト戦略に成功したまち」という福知山の文化としての光秀マインドを描き出す。
「私たちは市民の力で城を再建し、長年にわたり続けた大河ドラマの誘致活動を結実させた。度重なる水害も乗り越えてきた。私はこれらが400年を経て今の時代にも残る『ドッコイセ魂』だと思っています」と光秀のマインド、挑戦心が踊りに込められていると語る。
「踊りの裾野を広げ、より広く後世に残していくのが私たちの務め」と力をこめる田村さん。「城があるからこそ、私たちはさまざまなことに挑戦できる。このレガシーは継承していかなければならない」と踊りだけでなく、『ドッコイセ魂』に込められた光秀の挑戦心を伝えていく覚悟だ。
田村卓巳(たむら・たくみ)
昭和28(1953)年、福知山市生まれ。市内で呉服店を経営。昭和55(1980)年創立の福知山踊振興会会長を務め、次世代の育成などを目的に普及活動を続けている。また、福知山市市民憲章推進協議会会長として、「共に幸せを生きる」ふるさと福知山の実現のため、様々な活動を通して市民憲章の普及・啓発・推進を進める。官民連携組織・福知山光秀プロジェクト推進協議会実行委員長。
― 足立聖忠さん(福知山青年会議所「福知山イル未来と2020〜明かき光〜」実行委員長)
明智光秀や、光秀が築いた福知山城というシンボルは若者にも影響を与えている。大河ドラマ『麒麟がくる』をきっかけに全国的に光秀にスポットライトが当たったことは、その大きなきっかけとなった。
夜の福知山城をプロジェクションマッピングでライトアップするイベントである「福知山イル未来と」を主導する足立聖忠さんもその一人。「観光資源として活かせていないものを考えたとき、閑散としている夜の福知山城が思い浮かびました。『夜の福知山城の魅力を最大化したい』。これが2018年から3年連続で実施したライトアップイベント『福知山イル未来と』を始めたきっかけでした」。
「実は明智光秀について特別な感情はありませんでした。ただ、大河ドラマが決まり『光秀』というキーワードにみんなが寄り添った。これは彼が私たちに与えてくれたチャンスなのかもしれないと思いました。改めて福知山発展の礎を築いた光秀のすごさを実感しました」と、イベントを通して改めて足立さんは光秀の影響力の強さを感じたという。
イベントを開始した平成30(2018)年、翌年の2年間は城周辺を会場にしたため、城に行く人は少なかった。集大成と位置付けた大河ドラマの放送年である令和2(2020)年は城まで登ってもらうことを前提に、登城坂や石垣などを利用した体感型のプロジェクションマッピングを約1カ月間実施した。
「今まで城では見かけなかった高校生のカップル、大学生グループ、おばあちゃんの手を引く子どもたち。大勢のリピーターを呼び込むこともできました」と安堵の表情を浮かべる足立さん。「ご年配の方から『昭和の再建時以来の人出だ』、『こんな福知山城見たことない』などと言っていただけたことは、大きな喜びでした」と笑顔を浮かべる。
一方、「天守閣があるという圧倒的な価値をまだ活かしきれていないのが現状」とも分析する足立さん。「イベントを通して福知山の夜間のコンテンツ作りに携わるという夢ができました。協力して汗を流した地元の大学生と一緒に起業できればいいですね。まちをもっと元気にしたい。城を活用した面白い企画にもチャレンジしたい…」と挑戦心は尽きない。 光秀は世代を超えて人々を一つにし、夢を与えている。
足立聖忠(あだち・きよただ)
昭和59(1984)年、福知山市生まれ。自動車関連会社代表。一般社団法人福知山青年会議所のメンバー。平成30(2018)年から3年連続でイルミネーションイベント「福知山イル未来と」を担当。令和2(2020)年は実行委員長を務め、夜の福知山城を大規模なプロジェクションマッピングなどで約1カ月彩った。福知山商工会議所青年部にも所属し、「福知山ドッコイセこども大会」などに携わる。
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